時代の区切りにあたり、「日本」を考える

聞き手:澤村修治(★マーク)
★──平成が終わり、新しい元号の時代が来ました。『ひらく』その入り口で産声をあげることになります。そして2019年は明治維新から151年、あるいは戦後74年です。これらの長い期間を通じて、日本人は、「近代」と「日本」のディレンマにどう立ち向かうのか、それをどう咀嚼していくのかについて、格闘してきました。それは明治維新以来、さまざまな思想家、文学者、あるいはジャーナリストなど実践家、官僚など実務家にとって、真剣な問いだったのです。
 戦後の「豊かさ」を経験し、その紆余曲折と挫折を経験してきた平成末の時点に立ち、あるいは、戦後社会が混迷と破綻の様相を示してきた2010年代末の時点に立ち、改めてこの問いを発してみようというのが、この巻頭対談の主旨です。「日本的なるもの」の再発見、再構築はありうるのか。あるとしたら、どういった姿・かたちをとりうるものなのか。日本精神の光と影に対して思索を続けてこられた両先生に、侃々諤々(かんかんがくがく)のご論議をして頂きたいと思います。
 まず、現代の日本をどう捉えているかについてお尋ねします。松岡さんは、『日本数寄』(2000年)のなかの「主格の遊び」という単元で、こうお書きになっておられます。
〈いま、日本は何かに耐えている季節にある。戦時中や戦後しばらくのように窮乏に耐えているわけではない。モノはやたらに溢れているし、街や郊外にはスマートで壮麗な建物が似たようにたちならぶ。しかし、何かに耐えている。そういう奇妙な感覚だけは各自がひたひた感じている。何に耐えているかはすぐにはわかりにくい。〔中略〕挫折感のようなものである。〉
 この時点から20年近く経った平成末、日本はどういう「季節」にあると思われますか。
松岡 耐えようという意識はやはりあって、たとえば最近の天皇陛下のお言葉にも表れているように思います。平成末の「耐える」は、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」という、昭和天皇の玉音放送(終戦の詔勅)に似た「耐える」ではありません。また、内憂外患に耐えているわけでもない。では何に耐えているのかというと、言いたいことはあって、それはみんな漠然とわかっているはずなのに、それを明示的に言うこと自体が出来にくい状況、これに耐えているのだと思うのです。
 そこへもってきて、失われた10年、20年とか、グローバリゼーションとか、対米追従主義がある。一方で、ウェブ社会の展開や、コンプライアンスだらけの窮屈さが世の中に波及している。誰かが責任を持って何かを言い、議論するのではなく、フレーミングするとか、たれ込むとか、ハラスメントの基準にかけてしまうとか、そういった、激突なき成敗、整理とでもいうようなものが、徐々に進んできたと思うのです。
 これは、宮沢内閣が「日本は経済大国だ」と言い始めたあたりからで、その直後から、ソニーや松下が少しずつおかしくなったり、地銀が大変になったりしましたし、また、日米構造協議や、ジャパンバッシングみたいなものがあった。それらの出来事も、よく言えばマイルドに、悪く言えば裏地で何かをしていくような、表書きと裏書きが変わるような仕組みになっていったからこそ、起きたのだと見ています。こうしたかたちで物事が進むようになり、それが、「何かに耐える」を招いてしまったと思っています。
★──宮沢首相の頃からというと、平成に入ってからずっとですね。
松岡 小泉で後戻り不能になった。では、歴史的に見て、日本に「耐える」という時代があったのかというと、たとえば、古代、中国というグローバル大国に対して鎖国をしたとき、あるいは中世、貴族社会が武家社会になったとき、戦乱の時代から天下一統が生まれてきたとき、そういう時期に何があったのかを考えてみると、「耐える」とはいっても、今、我々が感じている「耐えるような感覚」とは違うように思えます。むしろ、「チャンスだから、もうちょっと、いろいろやってみよう」ではないか。たとえば、「悪所を面白くしよう」とか、「連歌から発句を作ってみよう」とか、「それほど禁止事項が多いのなら、野郎歌舞伎で女形を作ろう」とかね。変動の時期には新しい発想や、創意などがちゃんと出てきたのです。
 それらを思い浮かべつつ、改めて平成の30年を振り返ってみると、この間、何か新しいものが生まれてもいいのに、創発的なものが生まれていない。ハラスメントやポリコレ(ポリティカル・コレクトネス。「政治的な正しさ」)のようなものが厭だったら、従来であれば、新しい何かが生まれていいはずなのに、それが生まれない。これは結構やばい状態だなという印象です。
★──なるほど。反発力というか、そのエネルギーも出ないと。

「僕らはとんでもないことをやってきたんだな」

★──今度は佐伯さんにお尋ねします。佐伯さんはご著書『日本という「価値」』(2010年)のなかで、〈日本の伝統的な価値観や精神的価値は、個人主義、自由主義、民主主義、能力主義、軍事的強国主義、競争主義、人権主義などを普遍的価値として掲げるアメリカ的価値とは大きく食い違うものであり、往々にしてそれと対立するものではないだろうか〉とお書きになられており、そのうえで、
〈「日本的価値」という概念がいかに厳密な意味で捉え難いとしても、近代化の中で「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間には常にディレンマが生じるという意識があったことは間違いない。その葛藤こそが近代日本を活力あるものとしてきたのである。〉
 とお示しになっている。こうした視点は興味深く、歴史を考えるうえでのポイントですが、このあたりもふまえて、佐伯さんが「日本」に関心を持つようになったきっかけを、まず聞かせてほしいと思います。
佐伯 自己紹介的なところも含めて言います。戦後の日本の社会科学は、ご存知の通り、基本的にはアメリカ発です。イギリスやフランスのものも少しは入ってきますが、9割はアメリカ発になる。僕は学生時代に、そういうものを相当疑いながら勉強していました。アメリカから入ってきた経済学や政治学は、「どこか日本には合わないところがあるだろう」と思っていた。簡単に言えば、「これらはアメリカのイデオロギーだろう」という気持ちが強くありました。ですから、アメリカのイデオロギーを勉強するつもりで、経済学や政治学を勉強していたんですね。それが1980年あたりに、日本とアメリカの経済関係が逆転して、例えば一人当たりGDPでは日本はほぼアメリカと並んだ。それで、「アメリカから入ってきた経済学で、日本もいけるじゃないか」という話になってしまったのです。
 実際、日本は経済的に大成功したし、政治も非常に安定している。「けっこうじゃないか」という話になる。そのまま1990年代に入ったわけです。今度はバブルが崩壊し、小沢一郎氏が登場して政治改革を唱え始め、あの頃から日本は急におかしくなってしまった。
 僕はその頃、1年ほどイギリスに滞在していました。ヨーロッパに暮らすなかで、初めて、「僕らはとんでもないことをやってきたんだな」という気がしたのです。ヨーロッパの学問の背景には、我々にはよくわからないけれども、目に見えない、どう言ったらいいのか、つみ重ねてきた圧倒的な自信のようなものがあった。
松岡 ロゴスみたいなものがね。

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【寄稿者】
松岡正剛(まつおか・せいごう)
1944年京都市生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。情報文化と情報技術をつなぐ研究開発に多数かかわるとともに、編集的世界観にもとづく日本文化研究に従事。おもな著書は『知の編集工学』『フラジャイル』『17歳のための世界と日本の見方』『連塾方法日本』『国家と「私」の行方』『にほんとニッポン』ほか多数。2000年に開始したブックナビゲーションサイト「千夜千冊」は2019年3月現在1700夜を突破(https://1000ya.isis.ne.jp)。
佐伯啓思(さえき・けいし)
1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。滋賀大学、京都大学大学院教授などを歴任。現在京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』(サントリー学芸賞)『「アメリカニズム」の終焉』(東畑記念賞)『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)『倫理としてのナショナリズム』『日本の愛国心』『大転換』『現代文明論講義』『反・幸福論』『経済学の犯罪』『西田幾多郎』『さらば、民主主義』『経済成長主義への訣別』『「脱」戦後のすすめ』など。近著に『「保守」のゆくえ』(中公新書ラクレ)『死と生』(新潮新書)『異論のススメ 正論のススメ』(A&F出版)など。