日本近代をどう捉えるか

佐伯 今日のテーマは「日本の近代」という大きな構えです。お話し相手に筒井清忠帝京大学教授に来ていただきました。筒井さんは、日本近代を文化史、政治史、外交史などから多面的な研究をされてきた専門家です。比較文化史的な見地から「近代」をご覧になってきました。今日は宜しくお願いします。
筒井 佐伯さんもこのところ日本の近代について精力的に本を書いておられますね。今日はゆっくりお話しできることを楽しみにして参りました。
佐伯 私のほうから最初に問題意識を提示させて頂きます。どうして私が「日本の近代」という問題に関心を持ったのか。そのお話をしておきたいのです。それに応答して頂く形で、筒井さんの日本近代についての大きなイメージをお聞かせ頂くことにしたいと思います。
筒井 あまり日本近代について、大きなイメージで捉えたことはないのですが、政治学者の橋川文三を一つの切り口にするなら、話すべきことはあります。
佐伯 橋川文三はかの丸山眞男の弟子でしたね。橋川と日本浪曼派の話も是非取り上げてみたいのです。それから強いて言うと、橋川も取り上げて論じている問題、昭和維新と明治維新を対比した上で、明治維新をどう捉えるかという問題もお聞きしたいと思います。
 そして、筒井さんが専門で研究してこられた大正教養主義です。明治、大正という変遷の中、知識人の役割、関心が変わってきます。そのあたりのこともぜひお聞きしたいと考えています。
筒井 そうですね。このテーマですと、いろいろ面白い話題はあります。
佐伯 早速ですが、私はずっと長いことアメリカも含めた西洋の社会科学、特に政治学や経済学を研究してきました。ですから日本の近代に対して特に問題意識があったわけではないのです。もちろん個別的に、夏目漱石とか、森鴎外、福澤諭吉、そういった明治を彩る人物に関心はありましたが、日本の近代を総合的にどう理解するかという関心が生まれてきたのは、どちらかというと遅くて、五十歳過ぎてからでした。どうも西洋の社会科学ばかりと付き合っていてもらちが明かないわけです。西洋の知が日本に定着したという感じもしないし、かといって日本独特の体系ができているという感じもしない。確かに、よくいえば、日本は西洋的なものを受け入れながら、それと対話しつつ、日本的な知の体系を創ろうとしたと一応言えるかと思いますが、それが本当にうまくいったのかどうかというと疑問は残る。そういう問題意識が五十歳前後に芽生えてきたわけです。日本の近代というものをしっかり見つめ直したほうがいいだろうと考えるようになった。日本文化、あるいは日本の思想の一番根本に、一体どういう考え方、「思想」があるのか、それを僕なりにつかみ取りたいと。
 もう一つの問題意識は、大きく俯瞰すれば、日本が西洋に直面して、やがて列強と衝突するわけですが、日本は、その「西洋との関係性」という視点で自己を新たに定義づけていこうとした。西洋という鏡に映して自己を定義づけるということです。それが明治以降の近代の歴史になるだろうと思います。そこで明治以降の日本の近代の歴史をどういうふうに見るか、あるいは、思想的な位置づけをどういうふうに考えればよいか、私なりの判断をしておきたかったのです。
 
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【寄稿者】
筒井清忠(つつい・きよただ)
1948年生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所主席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。著書『昭和戦前期の政党政治』(ちくま新書)、『昭和史講義』『昭和史講義【軍人篇】』『昭和史講義【戦前文化人篇】』『昭和史講義【戦後篇】上・下』『明治史講義【人物篇】』『大正史講義』『大正史講義【文化篇】』(編著、ちくま新書)、『戦前日本のポピュリズム』(中公新書)、『日本型「教養」の運命』(岩波現代文庫)、『満州事変はなぜ起きたのか』(中公選書)、『帝都復興の時代』(中公文庫)、『石橋湛山』(中公叢書)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)、『西條八十』(中公文庫)など。
 
佐伯啓思(さえき・けいし)
1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。滋賀大学、京都大学大学院教授などを歴任。現在京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』(サントリー学芸賞)『「アメリカニズム」の終焉』(東畑記念賞)『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)『倫理としてのナショナリズム』『日本の愛国心』『大転換』『現代文明論講義』『反・幸福論』『経済学の犯罪』『西田幾多郎』『さらば、民主主義』『経済成長主義への訣別』『「脱」戦後のすすめ』など。近著に『「保守」のゆくえ』(中公新書ラクレ)『死と生』(新潮新書)『異論のススメ 正論のススメ』(A&F出版)など。