【抜粋】③形而上学と技術文明

形而上学からみた「アメリカ」
 そのハイデガーも1976年5月には没し、直後に『シュピーゲル』誌上でインタビューが掲載された。存命中には公表しないという約束のもと1966年におこなわれたもので、ナチスへの加担にたいする非難に弁明するための企画であった。しかし実際は、その意図を超え、1930年代半ばから(すなわちグラムシがアメリカニズム論をまとめた頃から)当時までの思索の進展や、その進展につれて「単純」に、しかしだからこそ「困難」になった晩年の課題にまで話題が及んでいる。

 ここ三十年の間にだんだんはっきりしてきたと言ってよいと思うのですが、近代的技術の惑星的運動は一つの威力であり、歴史を規定するそれの偉大さはどんなに大きく評価されてもされすぎることがないほどです。今日私にとって決定的な問いは、この技術の時代にいかにして一つの──そしていかなる──政治組織が伴いうるかという問いです。この問いへの答えを私は知りません。その政治組織がデモクラシーであるとは私は確信していません(17)

 ここで示されている「近代的技術の惑星的運動」とは、いわゆる後期ハイデガーの「技術論」で論じられたものにほかならない。ハイデガーの技術論は、「Ge-Stell(集-立、立て-組み)」を中心とする数々の特異な用語や造語で展開されており、理解するにも議論するにも難解なものとして知られる。
 とはいえ、当初は抽象的で社会的文脈を欠いたものと考えられていたハイデガーの技術論も、次第に社会的背景とのかかわりが論じられるようになってきた(18)。もちろん、それでも難解ではあるし、まして技術と「政治組織」のかかわりを問うということになれば、また別の難しさがともなう。ただ、ハイデガーの技術論を政治組織などの具体的な社会に結びつけ、いわば文明論として考えるのに手がかりになりそうなものがある。それが「アメリカニズム」にほかならない。このインタビューでは、アメリカニズムが「惑星的な技術によって規定されたもの」として挙げられている。
 ハイデガーのアメリカ観やアメリカニズム論は、このインタビューで詳述されているわけではないし、他の著作や講義で主題として掲げられているわけでもない。しかし、ハイデガーの思索が文明論的な次元におよぶばあいには、アメリカニズムは戦前から晩年まで、最も重要な概念として、いくぶん変遷しながらも継続的に登場するのである。とりあえず、その言及の変遷をたどってみるだけでも、わかることが少なくない(19)
 アメリカへの言及はまず、1935年におこなわれた夏学期講義に見いだせる。これは、数ある講義のなかでも、後にハイデガーみずからが校訂し『形而上学入門』として公刊したもので、「存在」について真正面から論じ、その原義と意味の変遷を描くことで西洋哲学史の見直しをはかっており、ハイデガーの思索の根幹を示したものと言える。ゆえに「アメリカ」も形而上学とのかかわりで論じられ、「存在史」のなかに位置づけられた。また「ヨーロッパはロシアとアメリカとに挟まれて万力のなかにある」というように、当時の世界情勢の視点、あるいは「一種の地政学」の観点からも位置づけられている(20)
 そうした時代認識のもと、ヨーロッパの中心たるドイツ民族の使命が語られ、講義の最後のほうでは「この運動(ナチズム)の内的真理と偉大さ」という表現も出てくる(GA40,208:323、略記については文末の凡例を参照)。この表現が、戦後に公刊される時でさえ削除されなかったこともあって、『形而上学入門』は大きな問題作として繰り返し論じられてきた。ハイデガーのアメリカニズム論も、そうした文脈にある。
 この講義では、ロシアとアメリカは「形而上学的にみれば同じ」であるとされ、「それは狂奔する技術と平凡人の底のない組織との絶望的狂乱である」といったように、激しい調子で語られている(GA40,40-41:70)。戦後の視点からすれば、絶望的狂乱にあったのは、むしろナチズムに陥ったドイツのほうだと言えようが、ハイデガーからすればそうでもないらしい。さしあたりここで確認できるのは、戦後の1950年頃から本格的に展開されるハイデガーの技術論が、すでにこの時点で問題の一つとして挙げられ、それがアメリカとの関わりで考えられていた、ということである。
 ただ、その頃の講義では、アメリカだけでなくロシアも俎上に挙げられ、どちらかといえばコミュニズムやボルシェヴィズムへの言及のほうが目につく。ところが1942年の夏学期講義では、ボルシェヴィズムも「アメリカニズムの一変種にすぎない」とみなされるようになる(GA53,86:103)。
 この講義は、「ヘルダーリンの讃歌『イスター』」と題されたもので、後期ハイデガーにとっては別格の存在であるヘルダーリンについての解釈の到達点が示されている。しかし同時に、アメリカについての言及が最も多い講義でもあった。哲学というよりは詩論の色合いを強めていくハイデガーの思索のなかで、アメリカは最も多く語られたのである(21)。国際社会における「実体としてのアメリカ」というよりは、文明社会における「象徴としてのアメリカ」が論じられ、それが「アメリカニズム」と呼ばれたのだと言えよう。

※注
(17) マルティン・ハイデッガー「シュピーゲル対談」川原栄峰訳『形而上学入門』(平凡社、1994年)所収、383頁。
(18) 代表的なものとしては、山本英輔ほか編『科学と技術への問い──ハイデッガー研究会第三論集』(理想社、2012年)がある。
(19) ハイデガーとアメリカの関係については、ジェームズ・W・シーザーが、『反米の系譜学』(村田晃嗣他訳、ミネルヴァ書房、2010年)の第8章で論じている。
(20) J・デリダ、港道隆訳、『精神について』(人文書院、1990年)、72頁。
(21) ハイデガーの政治的言説と詩のかかわりについては、ラクー・ラバルト、浅利誠ほか訳『政治という虚構:ハイデガー、芸術そして政治』(藤原書店、1992年)を参照。

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【寄稿者】
藤本龍児(ふじもと・りゅうじ)
1976年山口県生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。社会哲学、宗教社会学専攻。同志社大学一神教学際研究センター特別研究員などを経て、現在、帝京大学文学部社会学科准教授。著書に『アメリカの公共宗教:多元社会における精神性』。共著に『現代社会論のキーワード』『宗教と社会のフロンティア』『宗教と公共空間』『米国の対外政策に影響を与える国内的諸要因』など、共訳に『宗教概念の彼方へ』。