佐伯 今日は大きく二つのことをお聞かせいただければと思っています。一つは数学とは何かということ。もう一つは、現代の社会をどういう風に見ておられるか、日本人の持っている情緒や感性をどのように捉えられているかということです。というのも、森田さんはもともと東京大学の文化二類の入学ですね。だけどその後の経歴が少し変わっていますね。そこから工学部に転身されて最終的には数学をやり直している。それからITベンチャー企業へ行ったりもされています。そして今は独立研究者として寺子屋や講演で数学の啓蒙活動のようなこともされておられる。そこで、そういうご経歴も踏まえて、このグローバルな時代に数学の啓蒙とはどういうことかもお話ししていたればと思います。
森田 ものを考えるためには暗黙のフレームみたいなものがありますよね。例えば、現代の大学で研究すること、あるいは学問することを考えると、何か特定の専門分野を選んで、どこかの研究室に所属して、ということになる。このとき、歴史的につくられてきた探求のフレームにコミットしていくことになるわけですが、そういう既存のフレームのなかでは、どうしてもたどりつけない場所があるのではないかという思いが昔からありました。
 大学に入るまで僕はずっとバスケをやっていたんですが、中学生の頃、古武術研究家の甲野善紀先生と出会って、バスケで強くなるために、体の使い方とか、心身の関係とかについて、いろいろなヒントをもらいながら、自分なりに研究を始めました。そのなかで、ものを考えるときに前提となっている心身のありように関心を持つようになって、そこにそれこそ「隠された思考」が潜んでいるということをひしひしと感じるようになっていきました。
 暗黙のうちに、自分の思考や行動のパターンを制約しているフレームから自由になりたいと、大学に入ってからはいろんなゼミに出てみたり、本を読んでみたりしましたが、やはりそれだけでなく、自分で新しい実践を始めないといけないと思うようになりました。とはいえ、どこから始めたらいいかわからないので、まずは自分が社会のなかで動き回るための「身体」を持とうと。つまり、自分が活動していくための「組織」を立ち上げようと決意したのです。
 そう思ったのは、ちょうどその頃、ベンチャーブームのような状況があった影響もあると思いますが、とにかくまずは、シリコンバレーに行ってみようと。会社を作るなら会社を作って成功した人の話を聞くのが一番だと思って、たとえばアップルに電話して「スティーブ・ジョブズさんいますか」とか問い合わせを始めたんです。どなたですかって言われて、東大の二年生ですとか言ってたら、ちょっと無理ですとかって断られるんですよね(笑)。
 そのうち、ジェトロ(日本貿易振興機構)の人から、「あちこちに連絡をしている迷惑な学生がいると噂になっているが、それは君か」なんてメールが来て(笑)。この人がとても親切な方で、いろいろ面倒をみてくれました。そのなかで出会ったあるベンチャー・キャピタリストに鈴木健さん(現「スマートニュース」共同CEO)を紹介してもらい、日本で会社の立ち上げに加わることになったのです。
 その会社に、数学とか物理に詳しい先輩たちがいて、休憩時間に話しているうちに、数学へのイメージも変わっていきました。やがて、自分も数学をもっと学ばなければいけない、学びたいという気持ちがどんどん出てきました。それで数学の本をいくつか買って勉強を始めたんですが、たまたまあるとき、岡潔の本に出会いました。『日本のこころ』というエッセイ集だったのですが、ここに書かれた言葉にすっかり魅せられてしまって、この先にこそ、自分の見たい世界がある! と興奮して、これはもう本気で数学を学んでみるしかないと心に決めてしまったのです。

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【寄稿者】
佐伯啓思(さえき・けいし)
1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。滋賀大学、京都大学大学院教授などを歴任。現在京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』(サントリー学芸賞)『「アメリカニズム」の終焉』(東畑記念賞)『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)『倫理としてのナショナリズム』『日本の愛国心』『大転換』『現代文明論講義』『反・幸福論』『経済学の犯罪』『西田幾多郎』『さらば、民主主義』『経済成長主義への訣別』『「脱」戦後のすすめ』など。近著に『「保守」のゆくえ』(中公新書ラクレ)『死と生』(新潮新書)『異論のススメ 正論のススメ』(A&F出版)など。
森田真生(もりた・まさお)
独立研究者。京都に拠点を構え、在野で執筆・研究活動を続ける傍ら、国内外で「数学の演奏会」や「数学ブックトーク」など、数学に関するライブ活動を行っている。デビュー作『数学する身体』(新潮社)で第15回小林秀雄賞を受賞。そのほか著書に『アリになった数学者』(福音館書店)『数学の贈り物』(ミシマ社)、編著に『数学する人生』(新潮社)がある。ウェブ雑誌「みんなのミシマガジン」にて「聴し合う神々」を連載中。