巻頭言(終刊の辞)

本誌はこの第10号をもって終刊としたい。年に2回、5年間の刊行であった。当初より、5年、10冊をめどにしていたので、一応の目的は達したことになる。
本誌のアート・ディレクターであり編集にも深くかかわってこられた芦澤泰偉さんと、初期の編集長であった澤村修治さん、そして私の三名は、評論家の西部邁氏を介して知り合った。以前より、われわれは三者三様に西部氏の発する強力な磁場のなかにあって、その保守思想の影響を強く受けていた。そして、2018年、東京に大雪の積もる前日、一月の凍えるような寒い日に西部氏は自死された。この自死がその近くにいた者たちへ与えた衝撃は計り知れない。われわれとても同じであった。
その後、芦澤さんが音頭を取り、保守主義を背骨にしつつも、思想的な文明論を論じる雑誌を作ろうという企画が始動した。A&Fの赤津孝夫会長にも賛同いただき出版を引き受けていただいた。芦澤さんも私も雑誌の企画・編集は始めてである。赤津さんももともと出版業とは無縁である。熱意によって経験の欠如をカバーするという素人による無鉄砲な船出であった。かくて、手探りの出帆は、出版の逆風のなか、途中で、編集長を大畑峰幸さんに代わり、最後までおぼつかない航海を続けた。
芦澤さんも私も、イギリスを手本とした西部流儀の保守主義に強い共感をもっているが、『ひらく』そのものは、べつに保守主義の啓蒙を目指した雑誌ではない。むしろ保守主義から距離をとる方々にも執筆いただいた。「保守」と「リベラル」もしくは、「右派」と「左翼」が過度に政治的・イデオロギー的に対立する今日の論壇状況は決して望ましいものではない。その種の党派を超えて、今日、われわれの前に立ちはだかる本当に深刻な課題があり、そこに大きな論点がある。それは、端的にいえば、確かな価値の喪失、社会秩序の混乱、人間の精神の混迷を伴って生じる現代文明の崩壊、という事態である。
この事態を「ニヒリズム状況」と呼ぶならば、「ニヒリズムに陥った現代文明」との戦いほど、今日の知的活動にとっての枢要な課題はない。そして、私が保守思想に関心を持つのも、保守思想こそが、国や地域に固有の文化・歴史をたえず想起することで、ニヒリズムの斜面を滑り落ちる現代文明に対して少しでも抵抗の拠点となりうると思うからである。そのことを私は西部氏から学んだ。
 
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【寄稿者】
佐伯啓思(さえき・けいし)
1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。滋賀大学、京都大学大学院教授などを歴任。現在京都大学名誉教授、京都大学こころの未来研究センター特任教授。著書に『隠された思考』(サントリー学芸賞)『「アメリカニズム」の終焉』(東畑記念賞)『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)『倫理としてのナショナリズム』『日本の愛国心』『大転換』『現代文明論講義』『反・幸福論』『経済学の犯罪』『西田幾多郎』『さらば、民主主義』『経済成長主義への訣別』『「脱」戦後のすすめ』など。近著に『「保守」のゆくえ』(中公新書ラクレ)『死と生』(新潮新書)『異論のススメ 正論のススメ』(A&F出版)など。