『コンビニ人間』をめぐって

先崎 今回お呼びした與那覇潤さんは周知のとおり、三冊目の著書だった『中国化する日本』(文春文庫)で論壇にデビューされ、その後、ご病気をされましたが、復帰後第一作『知性は死なない』(文藝春秋)も話題となりました。東アジアにかんする幅広い知識と視野をもつと同時に、現代社会論も積極的に発言なされていて、今まさに最も活躍する言論人のおひとりだと思います。
與那覇 病気のブランクもあり、本人は活躍している実感はないのですが(苦笑)、過分のご紹介ありがとうございます。
先崎 いきなり歴史の話に入る前に、まずは助走として最近の日本社会について、どのようにお考えですか。
與那覇 『ひらく』で対談させていただくにあたり、図書館で創刊号を拝見しました。先崎さんは佐伯啓思さんとともに、東浩紀さんを迎えて鼎談されていますね。そこでの佐伯さんと東さんの議論のすれ違いが、すごく印象に残りました。
 単純にいうとグローバル化やIT化など、目下の日本社会を激変させている事象について、佐伯さんは究極的には「新しいものではない」と考えている。グローバル化とは、どう遅くみても産業資本主義が世界市場を形成した十九世紀にはすでにあった。また世界が均質化する流れのなかで「自明だったはずの共同体が解体されてゆく」という観点でいえば、古代ギリシャのポリスの思想家からずっと議論されてきた主題であると。
 これに対して、東さんが「そういう視点はわかりますが、いま起きていることは次元が違うんです」と強調されたのがやや意外でした。いわく、世界が市場取引を通じて「どこも似た感じになっていく」くらいなら、古典古代にも帝国主義時代にもあっただろう。しかし今は「似てる」では止まらずに、世界中で文字どおり「同一の」ものを見ている──たとえばYouTubeでバズった動画やトランプ大統領のツイッターをチェックしている。これは従来生じた変化(たとえば近代化)とは絶対的に質が違うと。
 私も先崎さんも広い意味での歴史研究者になるわけですが、歴史を振り返るときよく話題になるのが「画期」の問題です。日本史上で最大の画期はいつか。律令の継受か、応仁の乱か、明治維新か。あるいは昭和の戦争はどこで「ポイント・オブ・ノーリターン」を越えたのか。満洲事変の時点ですでにアウトだったのか、真珠湾攻撃の一歩手前でも戻れたのか、など。
 病気の前の私なら、佐伯さんと東さんの議論では明白に前者についたと思います。直近の事象に「画期」を求めるのは、短いスパン(近代以降、あるいは戦後以降)しか見ていないからですよ。もっと長い視野をとってご覧なさい、比較にならない巨大な画期が遠い昔にあったことに気づきますからと。しかし病気で職業的には歴史学者を辞めてみますと、そういう物言い自体もまた「視野が狭い」というか、いまだに歴史なるものにこだわるマイナーな趣味人限定の議論という気もしてきた。
 このあたり、先崎さんはどうお考えになりますか。
先崎 僕は今、現代社会をどう見たらいいのか悩んでいます。一応、次のような考えをもってはいるんですがね。半年ぐらい前になるけれど、偶然、僕の机の上に二冊の本が並んでいた。一冊は村田沙耶香の『コンビニ人間』(文春文庫)で、第155回芥川賞をとって話題になった作品です。それからもう一冊は今から200年近く前の文政八年、すなわち1825年に、会澤正志斎が書いた『新論』という著作です。水戸学という学問の代表的作品として、日本思想史家のあいだでは有名です。

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【寄稿者】
先崎彰容(せんざき・あきなか)
1975(昭和50)年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院博士課程を修了、フランス社会科学高等研究院に留学。2019年6月現在、日本大学危機管理学部教授。専門は日本思想史。著書に『ナショナリズムの復権』『違和感の正体』『未完の西郷隆盛』『維新と敗戦』など。
與那覇 潤(よなは・じゅん)
1979年、神奈川県生まれ。歴史学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』、『日本人はなぜ存在するか』、『歴史がおわるまえに』、『荒れ野の六十年』ほか多数。