『ひらく』刊行の辞

 今日、われわれはたいへんに奇妙な世界にいます。
 この世界は、次々と打ち出される技術革新や、モノ・人・情報の国境をこえた急激な移動によって、少なくとも人類の進歩の最先端にあると自認しており、われわれの日常は妙に活気に満ちているように見えます。しかしまた、その表皮をめくってみれば、表面上の活気とは裏腹に、様々な領域で深刻な秩序崩壊や価値の混乱に直面している現実が浮き出してきます。しかもそれは、政治、経済、社会、文化、芸術といった個別の分野の問題ではなく、それらを横断し、その全体を覆う、まさしく現代文明全般の危機的状況というべきものでしょう。
 しかもやっかいなことに、この状況は、自由な民主主義の政治、個人主義的なグローバル市場競争、情報化を推し進める技術革新、合理的科学の進歩、富の獲得による幸福追求、SNSによる情報通信の高度化といった「近代的価値」の推進によって解決されるどころか、むしろ、「近代主義」の盲信によって生み出されたというほかありません。
 確かに、自由の拡大や経済発展は、以前に比すれば飛躍的に大きな活動の舞台をわれわれに与えてくれました。しかしそれに反比例して、社会秩序や人間の倫理観、さらには歴史のなかで醸成された「常識」や「良識」は著しく衰弱してしまいました。また、高度な技術を駆使した物的な生産力の向上が、人間の心理や精神を豊かで安寧なものには決してしてくれません。まさに近代の果てに、われわれは、ニーチェが予告した「ニヒリズム」(確かな価値の崩壊)に向かって大行進を続けているといった有様です。
 これをかりに「現代の危機」と呼んでおけば、それが個別の分野を超えたものである以上、個々の専門的科学や実証的な学問は、危機の様相を解き明かすにはあまりに無力でしょう。むしろいま必要なのは、専門諸科学の知見と協同しつつ、今日、われわれがそのなかにいる現代文明の隘路そのものを主題化することではないでしょうか。そのためには、西洋文明によって切り開かれた「近代」、そして、この延長上にあるグローバルな「現代」を、歴史的、思想的に相対化し、批判的に論じる用意や知見がなければなりません。
 他方で、今日の日本を見渡すと、この「現代の危機」に対するそれこそ「危機感」はどこかへ打ち捨てられ、ただひたすらに、グローバリズムとイノベーショナリズムへの適応に終始し、すべてが場当たり的に推移しているように見えます。実際には、日本には分厚い、しかもきわめて多様で深い文化的な遺産や独特の(しかしある意味では普遍的な)精神的、思想的可能性があるにもかかわらず、です。
 このたび、数名の志を同じくする者が参集し、私が監修者となって『ひらく』を刊行することになりました。年に二回ほどの刊行予定ですが、少しでも、現代文明や日本の思想についての本質的な論議の場所を作り、この混沌たる現代に対する思想的な座標を論じてみたいとの思いからです。
 ちょうど平成の天皇の退位とともに「令和」という時代が始まりました。この時代の冒頭にあって、専門的な個別分野での厳密性よりも、未完で暫定的であっても、刺激にとんだ思索を実験的に発表していく場が作動すればまことに結構なことでしょう。この思想の実験が、社会科学、自然科学、芸術論、日本文化論などの分野を横断的に飛翔できればと思います。また、まだ十分に執筆の場をもてない若い人たちの積極的な登場も歓迎しつつ、われわれの試行が、読者の皆さんとともに、今日の我が国の知的な文化に対してささやかな寄与ができれば、これほどすばらしいことはないでしょう。

佐伯啓思


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