幽霊のはなし アンクル・イザヤ

 通りの向こうを、夕刊売りの少年が駈けぬけた。
「最終レース!」
 その結果が載せてあると叫ぶ、いつもの口上が聞こえてくる。
 夕暮れどきが迫っていた。店仕舞いの支度をする時刻だ。
 そのとき不意に扉がひらき、客の姿が見えた。不吉な影。ずんぐりとした男で、口もとに冷たい笑いがただよっている。ダニエル・キナードはぞっとしたが、いつもと変わらぬ、客あしらいの表情をつくった。
 男は挨拶もせず名刺を差し出し、ぶっきらぼうに言った。
「週二〇ドルだ、いいな」
 ダニエルは目をぱちくりさせ、思わず首を横にふる。
 ずんぐりした男は、口もとをいっそう残忍にゆがめ、「そのうち顔を合わすこともあるだろう」と、低くしゃがれた声をあげた。「コスタさんが出所するんだ」
 ダニエルは押しだまるしかない。
 ずんぐり男は、それ以上言い募ってくる様子もなく、くるり向きを変え、「あした、また来る。こんどはちゃんとカネをいただきにな」と背中で話した。そして男の姿は、たちまち店から表通りへ、表の雑踏のなかへと、かき消えてゆくのだった。まるで影が走るように。
 名刺はこぎれいなつくりで、〈ノースエンド・プルデンシャル組合〉とある。ダニエルは胸騒ぎがした。彼の脳裏を走った映像は……こなごなにくだけ散った板ガラス、破裂する爆弾、立ちのぼる脂をふくんだ煙、耐えがたい悪臭……。
 ダニエルのクリーニング店は、昔はもっとましなかまえだった。かつて通りぞいには六つの古い家族が住み、優美な邸宅が並んでいた。そのなかで、凝りに凝ったレンガ造りの出入口を持ち、界隈の名所になっていた建物がある。ダニエルは昔、その一角に店を出していたのだ。
 すべては過ぎ去ったことだ。いまでは何もかもが失われていた。六つの邸宅にしても、残っているのはたった一邸にすぎない。
 周囲はおそるべき変貌のさなかにある。
 いわれのあるたたずまいで知られた店は、上から下まで手荒くクロムメッキ塗装を付され、〈はい一丁上がり〉とばかりに、ハンバーガー屋へ変身した。別の建物は、いかめしい装飾で人目を集めていた玄関口が取り壊され、まもなく、がらんどうの、洗車しやすいだけのガレージが登場する。
 古くからの暮らしを大切にする人びとは郊外へ逃げだし、入れかわるように、町には得体の知れない住民がふえた。自動車が派手なクラクションを鳴らし、工場での量産品が人びとにいき渡る。まもなくノースエンドは、落書きと排気ガスだらけの町になった。建物の外壁はどこも薄汚れ、朽ち果てた家々が並ぶさまは、まるで墓場だ。
 スラムが広がり、そこで生きるしかない子どもたちは、あちこちのビルに出没し、騒々しい足音を立てて階段を上り下りしていた。
 ダニエル・キナードは、変化の一部始終を見つめながら、ノースエンドの片隅でずっと住み続けていた。彼らの一家は誰よりも早く、この町にやって来たのだ。そして、ここを出て行くのも、彼らが最後のほうになる……。
 それは望んだことなのか……いや、ちがう。
 実のところ、キナードの一家がこの町を出て行くことはない。引っ越しをしたくても、もはやかなわない。どこをどう探しても、もう、引っ越すだけの資金が見つからないのだ。そのため、あたかもノースエンドという土地が、キナードの一家をがんじがらめにして、決して放してくれないかのようになっていた。
 キナードの一家がありったけのおカネをはたき、クリーニング店を開いたのは二〇年前である。はじめのころは、まずまずの繁盛だった。〈ずっと平穏に暮らしていける〉──ダニエルはそう思った。しかし、いつからだろう。まるで丈夫な樽から水が漏れ流れるように、そして、漏れはじめたら止まらなくなるように、おカネが失われて行った。
 商売がうまくいかなくなったのは、ほかでもない。見かけだおしで、仕事も雑で、割安料金のライバルが次々と登場し、顧客の大半を奪われてしまったからだ。
 残ったなじみ客はといえば、イタリア系やポーランド系、黒人。それに加え、廃れ、活気などどこにもなくなった通りぞいの家に、スシづめで暮らす人たちだった。貧しい彼らは、アイロンかけくらい自分でやる。クリーニング店へ行くのは、どうしても必要に迫られたときと、継ぎ補修のため、仕立てを頼む必要があるときだけだ。
 これではたまらない。ダニエルの店は閑古鳥が鳴く状態になった。蓄えが底をつくのに、そう時間はかからない。一家の生活はどうにもならなくなった。それは真綿で首を絞めつけるように、じりじりとキナード一家を苦しめた。

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語り部としてのカーク

 デトロイト近郊の小都市プリマス(ミシガン州)で、鉄道の機関士を父に、食堂のウエイトレスを母にして、ラッセル・カークは生まれた。一九一八年のことである。プリマスの名づけはマサチューセッツ州プリマス──ピルグリム・ファーザーズの初期入植地であり、アメリカの「故郷」ともいわれる──との歴史的つながりからなされ、街並みも東海岸の旧都の 趣があるといわれる。そのプリマスに生を享けたことは、のちの思想家カークにとって、多少の象徴的意味合いはあるのかもしれない。
 カーク生誕の家は駅のかたわらにあったプレハブ住宅だった。そして、大学教員を辞めた三〇歳代半ばからは、母方の曾祖父が拓いたミシガン州深奥部、人口四〇〇の寒村メコスタで生涯を送り、閉じている(一九九四年)。これらの事情は、富裕層とは無縁な、庶民のなかの庶民というべき彼の肖像をわれわれに伝えてくる。保守主義がもっとも忠実な支持者を得るのは田舎であると、彼は書いたが、その意味でカークは健全な田舎者のありようをし続けたのだ。根拠地となったメコスタで、彼は生涯を通じて、自らの手でひたすら木を植え続けたという。そのすがたには、どこか哀感さえ含んだ懐かしさがある。
 ラッセル・カークは、エドマンド・バークの遺産が、リベラル陣営とのたたかいに「たえず敗北しながら」(彼の主著The Conservative Mind〈邦題『保守主義の精神』、会田弘継訳、中公選書〉は、原題がThe Conservatives’ Rout『保守主義の敗走』だったことは重要である)、アメリカにおいて、伏流水にも似た静かな流れを成していたことを跡づけつつ、併せて自らの保守思想を整序提示したことで名高い。カークは思想展開を通じて、〈リベラリズム、集産主義、実証主義、個人主義、プラグマティズム、社会主義、資本主義〉と、およそ近代が生んださまざまイデオロギーへの批判を行い続けた(George H. Nash The Conservative Intellectual Movement in America Since 1945.)。完全な人間、無限の進歩という教義、規制や制約を憎み、目新しさや手っ取り早さを好む態度が、どのような荒廃をもたらすのかについて、深甚な考察を怠らなかったのだ。
 
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【寄稿者】
澤村修治(さわむら・しゅうじ)
1960年東京生まれ。淑徳大学人文学部表現学科教授。千葉大学人文学部人文学科卒業後、中央公論社・中央公論新社などで37年にわたり編集者・編集長をつとめる。2017年から帝京大学文学部日本文化学科非常勤講師を兼任。2020年3月、中公を定年退社し、同年4月より現職。著書に『唐木順三』(ミネルヴァ書房)、『ベストセラー全史』近代篇・現代篇(筑摩選書)など。 近刊に『日本マンガ史』(平凡社新書)。