一遍智真

 頽廃のなかにあってひとは真情に飢える。王朝期から中世へ移りゆく時代も同じだった。千をこえて「あはれ」を使い、それにつぐほど「はかなし」(およびその類語)を頻出させながら人間間(にんげんかん)の出来事を描いた『源氏』の時代は終わった。入れ替わるようにやってきたのは、朝(あした)に鬨(とき)の声をあげ夕べに骸(むくろ)となる者どもが成す非情の世界である。武門人が登場し、無興索漠の実力社会、まさに殺風景(風景の殺しと殺しの風景)がそこに現前する。演者は引き切りなく登壇し、栄華と滅びの異様な劇を見せて、たちまち幕間(まくあい)に消え去る。前代、王朝のみやびの眼をもってすれば、まさにそれは、餓鬼と修羅がうごめく末世のすがたであった。また別の見方をすれば、意味の喪失と価値平均化が地上をおおう、すなわちニヒリズムの到来だった。死の相がたちこめ、やみの行路には友もない。情緒の神秘主義への甘い惑溺はもう許されない。では、ひたすら無理由を強いられる、その時勢の断崖にすくみ立つとき、ひとは何をもって、人性と人世を捉えればよいのか。
 末世の殺伐のさなかにあっても、ひとは茫然とするばかりではなかろう。何らかの生活原理と、それを維持させる「態度」の一貫なしに、ひとときの生も成り立たないとすれば、自身と自身を取り巻く「実際」をささえる知と情と念を示し開き、主張し、秩序づかせ、それによって変遷流転の「事実」に抗して「日常」を構築せねばならなかったのは、不安の中世人でも動揺の二一世紀人でも、事情は同じである。末法というほかない、荒涼たる社会状況に在って、あらわれた生の現実に神経を走らせ、第六感を働かせる。その営為が折り重なれば、頽廃の厚い雲におおわれ、殺伐の竜巻が襲いかかる世界のただなかに、いやただなかだからこそ、真情を求める心は、存外、人びとの間でゆきわたる。中世のはじまりもそうであった。問題はそれをどう捉え、どう編み上げていくかだ。わが一遍智真への接近もそこからはじまるのである。
 智真没一〇年という早い時期に成立し、高僧伝のたぐいとは色彩を異にしている聖戒編『一遍聖絵』を、本稿は総じて使う。編者が「弟」(諸説をもつが親近者)にして近習者であり、その立場からくるさまざまな偏差はありえようが、行歴記録を専らとし、智真本人に随従して聞知し得た(あるいはかなりの直截にて伝え聞いた)としか思われない生(なま)の材料が豊富であって、智真の、神格化以前の肖像がそこに見出されるからだ。
『聖絵』に面前しているとき、いつしかこちらに迫ってくるのは、智真の精神とともに「身体」と「状況」であり──たとえば智真のすがたは、浅黒く、背高で骨格たくましく、ほお骨の張った面長で、目力は炯々として強い。また遊行団の行く先には物乞いや異形がたむろす界隈が描かれる──、さらに、テクストが伝えてくるのは、智真の〈気色〉であり地声のようなものである。これらの混交が『聖絵』の決定的な作劇力といっていい。
 後者の点で続言すれば、『聖絵』には智真の和歌が多く収められており、それらはきわめて印象的に配置されている。いうまでもなく、和歌と仏道の関係は、古来より深い。西行が慈円に語ったことば、〈和歌を御心得なくば、真言の大事は御心得候はじ〉をいまさら挙げるまでもなかろうし、あるいはまた、このことばを紹介した無住法師自身による、和歌は仏道に入るなかだちであって〈法門を悟る便り〉だとの言を示してみるのも(『沙石集』)、他として、恵心僧都の、〈聖教(しょうぎょう)と和歌とは、はやく一つなりけり〉という感慨を示してみるのも(『発心集』)、すでにありふれた説明の仕方となる。なおこの場合、和歌は中世のそれを指すわけだが、当時の和歌は、日本文学の一形式にとどまらなかった。それは誦ずるものであり、口承の方法であり、音楽であった。呪術のありようもまた、そこにひそんでいた。和歌を真言陀羅尼として捉える見方もあったのである。
 端的なはずの前段がつい延びた。すなわち本稿は、『聖絵』と、そこに収録されている「うた」(和歌)を横断することで、一遍智真という、魅力的な、また、いくつかの保留を含めていえば「日本的」な一仏教者について、ひとつの接近をはかった試文といえる。また本稿では、佐藤義清(のりきよ)・西行が第二の主人公として登場する。なぜかれが出てくるのか、その理由は本稿表題ともかかわり、後述する。

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【寄稿者】
澤村修治(さわむら・しゅうじ)
1960年東京生まれ。淑徳大学人文学部表現学科教授。千葉大学人文学部人文学科卒業後、中央公論社・中央公論新社などで37年にわたり編集者・編集長をつとめる。2017年から帝京大学文学部日本文化学科非常勤講師を兼任。2020年3月、中公を定年退社し、同年4月より現職。著書に『唐木順三』(ミネルヴァ書房)、『ベストセラー全史』近代篇・現代篇(筑摩選書)など。 近刊に『日本マンガ全史』(平凡社新書)。